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黒部川扇状地の散居村
黒部川扇状地の扇央部から上流側は、江戸時代初期前後から開かれた集落が多く、その大部分が屋敷林のある散居の形態をしていた。散居の形態となったのは、元禄時代頃から土木工事の技術向上と加賀藩の新田開発政策により黒部川氾濫原での大きな開墾が可能となったためと考えられる。近年の富山県の農工一体化政策や工場等の進出により散居を埋める形で新たな住宅が建てられ、大規模な散居村の風景は失われつつある。
- 緯度:36.889074°
- 経度:137.51957°
- 標高:82m
黒部川扇状地の扇央部から上流側は、江戸時代初期前後から開かれた集落が多く、その大部分が屋敷林のある散居の形態をしていた。散居の形態となったのは、元禄時代頃から土木工事の技術向上と加賀藩の新田開発政策により黒部川氾濫原での大きな開墾が可能となったためと考えられる。近年の富山県の農工一体化政策や工場等の進出により散居を埋める形で新たな住宅が建てられ、大規模な散居村の風景は失われつつある。